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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -630- 大谷翔平になれなかったマリス

 1985年ロジャーマリスが亡くなった。その記事は団塊農耕派が当時住んでいたノースダコタ州の地方紙に載っていた。マリスとは往年のヤンキースのホームランバッターで、昨年アーロンジャッジに破られるまでの61年間、彼の61本はアメリカンリーグのホームラン記録だった。しかし大きな実績を残した大打者なのに彼の野球人生は不遇なものだった。


 当時のヤンキースにはミッキーマントルという花形選手がいて、マリスとホームラン数を競っていた。日本の野球少年だった団塊農耕派はよく覚えている。しかしMM砲の一方なのに、マントルのホームランキングを邪魔する選手くらいの認識しかなかった。マリスがタイトルを取ったときもがっかりした記憶がある。


 ニューヨーク市民のマントルびいきはもっと露骨だった。ニューヨークの申し子のようなマントルと比べ、ノースダコタ州の田舎の出身で、華やかさと愛嬌に欠けるマリスはいつも〝よそ者〟で、いくらチームの勝利に貢献しても喝采を浴びることはなかったという。


 マリスは球聖ベーブルースの記録を破ってタイトルを取ったが、その記録に近づくにつれ、ホームグランドなのに彼がホームランを打つと大きなブーイングが起きたという。ニューヨークっ子はルースの記録を田舎者に破られたくなかったようで、心無い仕打ちと言わざるを得ない。また記録が達成されると今度は球場が狭いとか、試合数が多いのとかナンクセをつけ、公式記録にしないように圧力を掛けたというからひどい話ではある。マリスにとってヤンキースは、いやニューヨークはアウエイ同然だったようだ。


 その後マリスはセントルイスカージナルスにトレードに出され、そこで選手生活を終えるが、ニューヨークでの最後の試合はメッツが相手だった。ニューヨークのファンが懺悔の気持ちをこめて「英雄マリスのニューヨークでの最終試合」と書かれた電光掲示板を用意したが、マリスはそのお膳立てされた試合に出ることを拒んだ。ベンチの最前列に座って観ているだけで、バットを握ることはなかった。心底ニューヨークが嫌いだったようで、85年の地方紙には彼のその行為の裏には復讐の気持ちがあったと書いている。


 30年後の2015年、団塊農耕派はノースダコタ州ファーゴを訪れた。相変わらずの田舎町だったが、町のハズレにショッピングモールができていた。そしてその中に小さな記念館を見つけた。マリスの記念館だ。無料だったが一人の客もおらず、マリスを独占することができた。日本での松井や落合の豪華な記念館を知っているだけに、その地味さ、いや粗末さには驚いたが、これこそマリスにふさわしい記念館だと思い直した。よく「ノースダコタには何があるの」と聞かれ、広大な小麦畑しかないので、いつも返事に窮していたが、それ以降ロジャーマリス記念館が在ると言っている。


 ルースの記録を破って祝福される大谷とブーイングを受けるマリス…、マリスに大谷のような爽やかさと明るさがあればと思うが、そんな努力をマリスがするはずは無い。北米の田舎の素朴さを知っている団塊農耕派にとって、マリスは硬骨で武骨のままのほうがいい。大谷クンになる必要はない。(団塊農耕派)

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