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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -629- 闘争心

 日本中、いや世界中で大谷翔平に高い評価が送られているが、彼の本当の凄さは野球に取り組む姿勢にあると言う人は多い。四六時中野球のことを考え、外食も旅行もしないという。一見、とっつきにくい求道者のようにも見えるが、彼のもつ爽やかさと優しさはそんな邪推を打ち消す。


 彼が高い評価をもらうのはそんな人間が少なくなったからだろう。昨今の就職試験で学生が企業に求めることのトップは〝休みが取れる〟ことだと言う。仕事へのこだわりや会社への忠誠は二の次で、志は低く、無事これ名馬が信条、と言うのだから、その生き方は大谷クンと真逆だが、極論すればそんな国民が多くなったのが日本の国力を弱めた一因だと団塊世代の爺さんたちは思う。


 半世紀前、若者だった団塊農耕派は明らかに大谷クンに近い生き方をした。家に仕事を持ち込むことは当たり前だったし、土日の出勤も厭わなかった。いわゆる〝社畜〟だったわけだが、チカラをつけて出世し、親に褒められ、家族を幸せにすることが男の務めだと思っていた。周囲もそういう人だらけで、毎年発表される昇級昇格通知に一喜一憂した。今の若者から見ればバカバカしいほどのエゴイズム、そしてアナクロだと思うが、そこで醸成された職場のエネルギーは半端でなかった。会社成長の火種となった。


 そのエネルギーの源泉は闘争心に他ならない。競争社会に生まれた団塊世代の誰もがライバルを蹴落とすことが自分の幸せにつながると信じ込み、ときに姑息なやり方で勝利を掴む人もいた。ただ不思議なことにそういう上昇志向の人は長続きせず、レースから簡単に落ちて行った。神様はよく見ており、闘争心と人品を秤りにかけて裁定していたようだ。


 中国は見境なく超大国の道を進んでいるが、その原動力となっているのが、功罪半ばする排他的な闘争心ではないかと思う。ひょっとしたらえげつないほどの闘争心が萎えた時、あるいは利他主義が芽生えた時、国の成長は止まるかもしれない。日本がそうであったように。


 30年前の中国西安で見た光景。薄暗い空港で北京行きのカウンターに並んだが、いっこうに列が進まない。割りこむ人が多く、空港職員も見て見ぬふり、要領のいい奴が勝つようになっていた。バス停でも同じ光景が。正規の停留場に停まらないバス、我先に乗り込む客、老人と子供と団塊農耕派は怖気づいてバスに乗るのを諦めた。飛行機の機内でも同じ光景。扉が閉まると同時に窓側の席をめがけて突進する多くの乗客、空席があれば移動して良いことになっているらしく、ビジネスクラスの席に座って動かない客もいた。


 これをマナー違反と蔑むのは簡単だが、こののち中国経済は大きく成長したという事実がある。受け入れがたい闘争心だが、国の成長エンジンになったのは間違いない。

 一方我が日本、いまどき闘争心を露わにするのは初老の男だけで、若い男から闘争心が消えている。物分かりが良く、横並び志向が強く、おしなべて心優しい。ムダ毛は抜くが牙は磨かない。個々にトゲが無いから組織(会社)も活性化しない。化粧品になぞらえればスキンケア効果のないオーガニック系男性が増えたと言うことか。

(団塊農耕派)

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