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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -611- 容疑者

 正月になると思い出す2つの事件がある。いずれも警察にその犯行を疑われ、楽しかるべき正月が台無しになった忌まわしい事件だ。


 一つは3億円事件。昭和43年の暮れ、大学2年生だった団塊農耕派は、犯行現場の府中近辺の大学に通い、車の免許を持ち、理工系の学生、ということだけで犯人候補の大網に引っかかり、芋づる式に調べられた。緊張感のない取調べにそれほど疑われていないことは実感したが、晦日が近づいたころ警察から正月には帰省しないようにと要請が入る。さんざん迷ったが当時「昭和の岩窟王」なる小説が流行っていたこともあり、冤罪が怖くなり、小心者の団塊農耕派はそれに応じてしまう。正月の三が日は全ての店が閉まっている時代、吉祥寺の学生下宿でひもじさと戦ったが、帰ってこない息子に、ひょっとしたら世間様に顔合わせできないことをしでかしてしまったのでは、と両親は心配したそうだ。


 二つ目の事件のほうは深刻だった。岩窟王にかなり近づいた。昭和49年の暮れ、西船橋駅の近くで深夜若い女性が暴行されて殺される事件が起きた。当時S社の工場に勤務していた団塊農耕派は駅前の駐車場に車を預け、電車通勤していたが、犯行現場はその駐車場の近くだった。もちろん身に覚えは無いが、報道を聞くうちに自分が犯人像に近いことに気がつき、血の気が引いた。逃げた車の車種と色、犯人の体型と血液型…、岩窟王にされてしまう条件がそろっていた。


 杞憂で終わらなかった。年明け最初の出勤を終えて、夜クルマにもどると、ワイパーに小さな封筒が挟まっていた。差出人は地元の警察署で、中にはアンケート用紙が入っていた。犯行のあった日のアリバイを書いて出すようにと書いてあった。

 「困ったことになった。正直に書けば疑われてしまう、さあどうしよう」


 その夜、団塊農耕派は悩んだ。全てを正直に書いてみたが、犯行のあった日の何時何分に西船橋駅に着いたか明快な記憶が無かった。残業した憶えが無いから深夜にそこに居たとは考えにくい。その時間がわかれば疑いは晴れるはず。安堵の気持ちが湧いてきた。


 ところがこの希望的観測は翌日脆くも崩れる。麻雀の点数票が出てきて動かぬ証拠となった。友人の記憶もそれに加わり、団塊農耕派の駅到着は犯行時間とドンピシャになってしまった。結局、団塊農耕派はアンケートを投函しなかったが、その報いはすぐにやってきた。1月の下旬、小雪の降る朝、団塊農耕派は駐車場を出たところで二人の警察らしき人から同行を求められ、あっという間にパトカーの後部座席の人になってしまった。


 署ではもはや隠し事は許されず、正直に話すしかなかった。中学生のとき富津岬で古い番小屋を燃やして補導されたことまで話してしまった。しかしその従順さが功を奏したのか、取り調べは30分程度で終わり、「特休」の証明書を発行してもらい、放免となった。


 このとき警察がどんな判断をしたのかは知る由もないが、それから50年間、一度も警察からの呼び出しがない。しかし犯人はいまだ捕まっていないので、当時の麻雀仲間から「そろそろ白状したら」と言われ続けている。(団塊農耕派)

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