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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -198- 時間指定

 正月やゴールデンウィークなどの長い休みに入る直前、宅急便の集配のお兄さんはつらい。「ご指定の日時に届かない可能性があります」と頭を下げなくてはいけないのだ。依頼主の不満もわかる。送り先に届ける時間を約束してしまってあるのだから。


 さらにお兄さんの一言が火に油をそそぐ。「期日指定にしなければ、その日に届くかもしれません」。指定券は満員で買えないけど、自由席なら空いていますよ、と駅の窓口で言われたようなもので、依頼主のイライラはますますつのる。


 期日指定でも飽き足らず、時間指定までする。それが高度なサービスだと宅急便会社は胸を張ってきたが、この神話は明らかにほころびを見せている。サービス慣れして、わがままと常識の区別がつかなくなった依頼主、サービスしようにも荷物の量、人材の確保、交通事情、など思い通りにならなくなってしまった宅急便会社…、今までやってきたような経営効率一辺倒の業務改革ではこの困難を乗り切るのは無理で、解決策があるとすれば、昔の不便な時代に後戻りするしかない、そう考えるのが至極当然だ。


 団塊農耕派の家からそれほど遠くないところに京葉コンビナートがあるが、夜明け前、大型トラックが工場の前に並び始める。遠くから来たことはナンバープレートを見ればわかる。運転手はエンジンを止め仮眠している。その日に使う原材料はその日の朝に運んでもらう、それがこの地域の工場の常識だそうで、運転手に遅れは許されない。早着した運転手は工場の門が開くまで、こうして待つのである。


 資材が届かなくて工場が生産を止めれば、運送会社の責任は免れない。だから必然的に運転手は余裕を持って出発する。不条理な話ではある。工場が資材をストックする倉庫を持てば運転手にこんな気苦労をかけずにすむと思うのは経営を知らない素人の考えだろうか。せめて門前に暖かいものでもふるまう社員を配置してもいいと思うのだが。


 たかだか半世紀前、国鉄貨物や日通がふんぞり返って仕事をしていたので、駅前の日通の支店にはリヤカーを引いた受取人が列をなした。高飛車に出られても、重い荷物を運んでもらったという負い目から、深々とお辞儀をして荷物を受け取っていた。


 ヤマト運輸はそこに目をつけて大成長したわけだが、気が付けば人々から節度という美徳を奪った。重い荷物を運ぶのが嫌だから、店にいくのが億劫だから、恥ずかしいものでも買えちゃうから…、そんな不浄な動機の利用者にアメを与えてしまった。そして利用者を堕落させた。日本人が本来持っていた〝感謝の気持ち〟などどこかへ吹っ飛んでしまった。


 核家族が一般化し、専業主婦がいなくなり、家は留守の時間のほうが多い時代、宅急便の時間指定は歴史の必然だったが、その乱用によって便利さを維持できなくなった以上、もうそんなものは止めればいい。利用者はもっと不便に慣れた方がいい。郵便や宅急便の遅れに寛容になった方がいい。もっと極論すれば、不在になることがわかっている人には宅急便を使う権利が無いと思ったほうがいい。利用者は神様ではない。配達する人に迷惑をかけて得ている便利さなど返上するのが人の道だ。

(団塊農耕派)