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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -194- 試食のできない男の暴論

 試食コーナーには近づかないことにしている。食べたら買わずにその場を立ち去ることができなくなるからだ。「試食と購入は別物」と割り切る奴は極悪人だと思っている。食べさせてくれるおばちゃんに笑顔で美味しいと言っておきながら買わないなんて、そんな薄情なことはできないのだ。食い逃げは犯罪。天に代わって征伐したくなる。


 お金がなく、食費を浮かす目的で試食に走る人ならまだ許せるが、この人たちはそうではない。経済的余裕もあり、社交的だし、会社ではそれなりの地位にいて、そして何より自分の評価眼に自信をもっている。コストパフォーマンスを大切にしたいという気持ちはわかるが、せめてスーパーの買い物のときぐらい立場の弱いおばちゃんに勧められるまま衝動的に買ってあげればいいではないか。


 シンガポールの街を会社の先輩と終日歩いたことがある。買い物が大好きだと言うことは渡航前に聞いていたが、先輩は団塊農耕派を店の外に待たせて、店を変え、品を変え、身振り手振りで値切り交渉を繰り返す。店員さんの困惑など見えていないようだ。そして成立すれば無邪気に喜び、不成立なら店を出た途端に罵詈雑言の嵐、化粧品の処方つくりはいい加減なくせに、買い物には集中力を切らすことがなかった。団塊農耕派が定価で買い物をしたと言おうものなら、交渉下手とバカにし、「戻してこいよ」とまで言い出す始末。帰国後、この先輩とつきあうのを止めたのは言うまでも無い。


 ラオスの北部に絹織物の村があり、そこではたくさんの未就学の子ども達が競って観光客に手縫いのミサンガを売って生計の足しにしているが、訪れる日本人は冷徹だ。1個50円程度の商品なのに、相手は貧乏な村の子どもなのに、「まけろ」と醜い笑みを浮かべる。


「全部買ってあげたら」と団塊農耕派が言っても聞く耳をもたない。「値切り交渉は楽しいし、原価はもっと安いはずだ」と悪びれない。そしてとうとう半額にまけさせてしまう。全部買っても500円程度なのに彼が太っ腹になることはなかった。ボランティアの一員としてやってきたこの男に団長の団塊農耕派はその後ずっと距離を置いたが、その理由がこんな些細なところにあったことを彼は知らない。帰国後、連絡すら取っていない。


 浮浪児の一団が観光客の荷物を奪い合い、タクシーまで運んでチップをもらう光景はネパールでよく見られるが、ここでも日本人は狭量だ。見つかれば空港への出入りを禁止され、以後稼げなくなることを心配する子供の心理をもてあそび、荷物を運んでもらっておきながら礼金を渋る日本人がいる。「頼んでいないのに勝手に」と言う論理は間違いではなく、払わなくても罪にはならないだろう。でもそんな恥ずかしい日本人を見つけたら団塊農耕派はただではおかない。


 団塊農耕派のこのような偏見、いや暴論に反論が来ることは百も承知。間違った正義感だと笑われるだろう。でも江戸っ子でもないのに体得してしまった単純かつ偏向気味の正義感はいまさら隠せない。理由はたったひとつ。相手が喜んでくれるから。「その人のためにならないよ」という尤もな指摘には「そうだね」と言って笑って無視する。

(団塊農耕派)