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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -190- 医療改革

 日本の医療水準は世界に誇れるものだと信じていたが、コロナの第7波をめぐる混乱ぶりをみているとそれも疑わしくなる。


どこかおかしい。ボタンの掛け違いくらいでは済まされない致命的な欠陥があるのではないかと思ってしまう。医師もベッド数も少ない国で医療崩壊が起きていないのに、日本だけがいつも重篤な危機に瀕する。あまりの患者の多さに、医師の組合が来院を控えるようにお願いするに至って、その閉塞感はピークに達する。


 そもそも医療崩壊はコロナ以前から始まっていた。予約をしているのに病院で3時間も待たされ、5分で診察を終え、効き目の薄い薬をもらう…、この非人間的な仕打ちを国民は当然のことのように受け入れてきたが、これだって視点を変えれば、患者を無視した医療崩壊と言えなくもない。コロナによって膿が全身に回っただけの話で、病院が患者を振り回す日本の医療体制は端(はな)から歪んでいたのである。


 3年にわたるコロナとの闘いの中でたくさんのことを学習し、日本の医療の抱える問題点は抽出されているはずなのに、〝のど元過ぎれば〟で何一つ改革の兆しが無い。何かを決めれば何かが傷つくと考えてしまう優しさからだろうか、強大な医師会の既得権限を削ぐことができないからだろうか、いやそれ以前に政治家の知的水準に問題があるからだろうか、こんな問いかけを3年も続けるバカさ加減にそろそろピリオドを打ちたいものだ。閉塞感が続けば民主主義を否定し専制国家に憧れる人も出てくる。政治家や医師会がお互いの顔色を窺いながら保身に走り、事なかれ発想を続ければ、国を誤った方向に導くことにもなる。日本の医療の在り方を根本から見直すべきだ。


 正すべきはたくさんあるが、ここでは「お医者さんの在り方」について考えてみる。世界一の感染者を出していながら、それでもコロナ患者を診ようとしない開業医をまずは弾劾する。実に65%の開業医が発熱外来を断っているというが、彼らは自らの職業の高尚な使命を忘れている。施設が不十分なら作ればいいし、直接診るのが怖いのならコールセンターの様なものを作って治療のアドバイスをすればいい。知恵を出せば何かしらの貢献はできるはず。無難な客(患者)だけを相手に、開業医と言う恵まれた炬燵から出ようとしない。


 医師は尊敬され、収入も良い。高齢化社会の日本には患者は腐るほどいる。だから余計な仕事、それも危険が伴う仕事などしたくない。言い過ぎかもしれないが開業医には高みの見物をする自由が許されている。医師会は開業医の既得権益を守ることだけが仕事で、志を見失った医師を諫めたりはしない。いや自らも同じ穴のムジナであることに気づいていない。


 日本は皆保険制度が充実しており、誰でもが気軽に医者に掛かれる幸せな国だが、それは平時のことで、国難時には医者も国民もみな平等に不利益を分かち合わなければならない。政治家は信念を持ってその配分に努めてほしいし、医師は視線の先にいつも国民を据えてほしい。アフガニスタンの国民に慕われた故中村医師は「薬よりも用水路」と、生きていくための優先順位を示唆したが、政治家と医師は今こそ国民が健康に暮らすための新しい医療体制を作ってほしいものだ。〝最初に医師ありき〟では困る。

(団塊農耕派)

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