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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -187- ゴルフライバル物語

団塊農耕派がゴルフをやったのは本社に異動した年のたった1年間に集中している。


研究所時代は野球しかやらず、週末になると千葉の自宅から2時間もかけて神奈川県海老名市にある会社のグランドに通っていた。ゴルフの誘いもあったが、応じたことはなかった。


「野球が出来なくなったらデビューするよ。三日も練習すれば、すぐにキミたちのレベルに」と憎まれ口を叩いていた。野球のノックなら外野手の頭の上に打つことができる。それも動いている球をだ。止まっている球ならたやすいもの。ゴルフを徹底的になめていた。


 ゴルフをやることになった。異動先の部署のゴルフ熱が半端ではなかったのだ。道具もないし、好きでもないし、付き合いでやるのかと言われそうだったし、最初は断ろうと思ったが、「やるなら今かもしれない」という気持ちも沸いてきた。秋葉原で3本2万円のウッドのクラブを買い、アイアンは叔父のお古をもらい、40歳でのデビューを決断した。


 終業後、銀座の本社から大型バスを貸し切って千葉のゴルフ場に向った。翌日の天気予報は大荒れ、雨合羽が要るといわれ、出発直前に買いに出かけたが、松坂屋のゴルフウエアの売り場に行ってしまったもので、3万円近いものを買わされてしまった。団塊農耕派のゴルフの持ち物でいちばん高価なものになってしまった。


 実は団塊農耕派をこの大会に何としても引きずりこもうとした人がいた。Hさんという同僚だ。ゴルフのキャリアは古いらしいが、持ち物が高価なわりに進歩が無く、同じ落ちこぼれを探していたフシがあった。団塊農耕派はHさんの期待に背かなかった。数日前の秘密練習では、気持ち良いほど飛んでいた球がこの日は悉くボテボテ、大雨の中、右往左往する姿はゴルフと言うより髪を濡らしたトライアスロンだった。終わってみれば団塊農耕派が139、Hさんが138、それがこの日のスコアだったが、Hさんはよほどうれしかったらしく、機嫌が良かった。メクソハナクソなのに。


 それからきっかり1年間、次の部署に異動するまで実に15回もコースに出た。全くの自己流だったが、慣れるに従い5回目あたりで100を切り、10回目くらいで90も切り、ライバルに大きく差をつけた時、〝教え魔〟が現れた。取引先の社長だ。野球のスイングだと笑い、回転で打たないと上手くなれない、と自信たっぷり。しかし体の固い団塊農耕派にはそれが出来ない。一緒に回る社長の視線がうるさく、その日のスコアは奈落の底へ。そしてそれからは100を切ることもできないスランプが。元のフォームに戻してもしっくりせず、ゴルフ好き部署の組織解消もあり、団塊農耕派はゴルフ用具一式を封印してしまった。


 同じころHさんもゴルフを止めた。しかし130後半が毎度のスコアなのに団塊農耕派をライバル視するのは止めなかった。今でも団塊農耕派のゴルフを面白おかしく吹聴している。「グリーンまで僅かだったのに3番アイアンを使って遠くへ飛ばしてしまった」に始まり、「上司や同僚がベンツやジャガー、フォルクスワーゲンで来る中、マツダのレビューでやって来た」とか遠慮が無い。でもイヤではない。酒のつまみにちょうどいい。二人のゴルフ風景をヤジキタ道中と茶化し、一緒に回るのを喜んでくれる人もいた。

(団塊農耕派)