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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -185- 規格外の人たち⒂ 粗忽者

買い物は衝動的で、いつも購入後に後悔する。最近では「そこひえ」というスポットクーラーを通販で買って酷い目にあった。世の中にこれほど消費者をなめた商品はなく、当局に取り締まってもらいたいほどの粗悪品だが、見破れなかった。


ベネチアで似合うと言われて、その気になって買った重厚なコートも、帰国後は外に着て出る勇気が無い。マンションも一生の買い物のはずなのに衝動的に買ってしまった。相談されなかった妻は今でもその時のことを思い出すと悔しいと言う。小学校の通信簿に「もう少し考えてから行動しましょう」と書かれたが、団塊農耕派の〝拙速&うかつ〟の性格はいまだ直っていない。


 説明を見ない、聞かない、勝手に解釈する、そしてせっかち…、自己分析すればそういうことになるが、40年ほど前、アメリカで暮らしたころ、いくつかの笑えない話があった。


 アメリカの片田舎に車は必須で、リースカーを借りたが、選んだサンダーバードは非力、短足の日本人には不向きであることを乗り始めてから知った。パワステでないので腕力が必要で、また椅子をどんなに前に出しても、座布団を重ねても、ペダルに足が届かなかった。


 電話を引くにも手こずった。指定された開設日、いくら待っても電話会社の人は来ない。腹が立ち、公衆電話で催促するも、逆に英語でまくし立てられる始末。悶々とした日々が続いたある日、神が降臨した。「まさか」と思いつつ近くの電気屋で一番安い受話器を買う。電話線に挿すと何とジャストフィット。試しに日本に掛けてみる。夜中の電話に不機嫌な母の声。そう電話は1週間前からつながっていた。日本の電電公社のご親切なやり方はグローバルスタンダードではなかった。


 銀行口座を作るのも大変だった。セービングアカウントとチェッキングアカウントの二つを持ち、会社からの送金は前者に、日頃の出し入れは後者に…、そんな銀行の仕組みも知らなかった。窓口でこの仕組みを丁寧に教えられたがなかなか理解できず、2冊の通帳と小切手帳が届いた時にはノースダコタ州に入って半月が経っていた。大学への土産も思慮不足だった。先端的なものが良いと考えて日本でポストイットを大量に買い込んで渡米したが、何と本場はアメリカで、近くには住友3Mの工場があった。もらってくれた研究員がどう思ったか想像するたびに冷や汗がでる。資生堂の人に花王の石鹸を贈るようなことだった。


 アメリカは電気代が高いと思っていたが、その謎を帰国間際に知った。半年以上に渡ってアパートの住人数人が配電盤を操作して団塊農耕派の部屋から盗電をしていた。仲良しだった老人がアパートを出て行くときに餞別代りに教えてくれたのだが、今思うに彼も共犯者だったような気がする。シャワールームにつながる廊下の天井に暖房用ヒーターがあることを知ったのも帰国間際だった。氷点下の廊下を震えながら裸で走った苦労が情けない。


 用意周到な人なら事前に調べたり、英語のわかる人に相談したり、いろいろ努力したと思うが、団塊農耕派にその緻密さは無かった。それでもなんとかなるものだ。完璧に無事に暮らすより思い出が多くなったと嘯いている。反省のイロなし。

(団塊農耕派)