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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -184- 規格外の人たち⒁ 寡黙な4番バッター

就職した化粧品会社に野球部があったので、さっそく入部することにした。高校では弱小チームながらレギュラーだったし、大学でも県人会の野球部をつくって、大学の公式組織である軟式野球部を負かしたりしていたので、会社の野球部ならすぐにレギュラーになれるとうぬぼれていた。


 8時始業の工場は4時30分には終業となる。3時半には製造釜を洗い終え、4時にはツナギを脱いで風呂に入り、ユニフォームに着替え始め、雑談をしながら終業のベルを待つ。工場長もラインの組長も見て見ぬふりだ。


 異常に排気ガスをばらまく20人乗りの中古の小型バスはすでに裏門で待っており、これから練習グランドのある荒川の河川敷まで急行するのだ。主力選手の大半はみな製造課の人たちで、屈強な体つきをしていた。


 団塊農耕派は別の部署なので仕事を切り上げるには勇気が要ったが、課長が許可をくれるので、残業する同僚をしり目にこのオンボロバスに乗り込む日が続いた。一桁の背番号をもらい、練習は楽しかったが、この野球部は統制のとれなさでは天下一品だった。車中でビールを飲み、練習も雑、ベテランはベンチで将棋を指す始末…、だんだんこの怠惰な雰囲気に嫌気がさし、退部を申し出たが、誰も相手にしてくれず、退部届は宙に浮いたままだった。


 そして今日を最後にしようと思ったその日、その出来事が起こる。何かの病気で長く休んでいた元主将の4番バッターがこの日から練習に加わったのだ。サングラスを掛け、病み上がりとは思えない凄い打球を飛ばしていた。初対面の団塊農耕派に蚊の鳴くような声で「お前、誰だったっけ」と言ったきりで、練習中は誰とも口を聞くことは無かった。帰りのバスの中でマネージャー兼万年補欠の勤労課の係長が、この人を主将に戻すことを提案し、その通りになったが、F山さんという名前と存在をその時初めて知った。


 それでも退部の決意は固く、翌日の昼休み、万年補欠のところに新しい届けを持っていくと、F山さんのところに行けという。どうやら人事権は昨日からF山さんに移ったようだった。工事現場の飯場のようなところが製造課のF山さんの居場所だったが、大勢の中からF山さんを見つけられない。サングラスを外した顔を見たことが無かったのだ。


 驚くことに団塊農耕派の問いかけに応じたその人に昨日のあの凄いスラッガーの面影はなく、不健康そうな猫背の男性だった。後年わかったことだが、F山さんを仕事で評価する人は全くおらず、何度も仕込みミスをやり、閑職のまま会社生活を終えたという。


 F山さんは慰留するでもなく、無表情で団塊農耕派の差し出す届けをポケットにしまい、こう言った。「あんた、野球より仕事でがんばったほうがいいよ」。野球の実力をけなされたようで腹が立ったが、ある面で事実だし、F山さんのように寡黙で一芸に秀でた人に言われると妙に説得力があり、引き下がるしかなかった。


 それからF山さんを何度も見たが、いつも元気なくトボトボと歩き、出世コースではいつも遅れを取っていた。でも野球となると変身し、チームを何度も優勝に導いた。すでに亡くなっているが、その桁外れの二面性を忘れることができない。

(団塊農耕派)