• 日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -183- 規格外の人たち⒀ 根来捕手と観察力

 売り出し中の若いバッテリーが千葉ロッテオリオンズにいるが、先日の公式戦で豪速球を捕手が受けとめられない事件が起きた。サインミスのようだが、ハイレベルのプロ野球ではよくある話だ。団塊農耕派も高校時代、捕手の経験はあるが、そんな経験をさせてくれる投

手と組んだことはなかった。


 この事件で思い出すのは根来捕手だ。国鉄スワローズの元選手で、400勝投手金田正一の球をノーサインで受けていた人だ。わがままな金田は最初は自らサインを出していたらしいが、そのうち面倒になり、投げたい球種を勝手に投げていたというのだから恐ろしい話だ。根来は「ノーサインで受けることを前提で採用された捕手」だったので文句も言わず、ひたすら痛みに耐えていたようだが、そのうち金田の性格や投球のクセを読めるようになり、傷も減ったと言う。金田から絶大な信用を勝ち得たことは言うまでもない。


 経験を積むことにより、見えないものが見えてくるという例だが、同じような話を大阪の化粧品店の奥様から聞いたことがある。店に入ってきたお客を一瞥するだけで、買うつもりで来たのか、見るだけなのかがわかると言う。そして前者であれば従業員に応対を任せ、自分は後者に専念するのだそうだ。金田は球種が3つしかなく、根来も当てやすかったと思うが、奥様の場合は、初対面の人も来るのだからその難しさはけた違いだ。まさに神がかりと言うしかない。神の領域に達するまでに根来は数年、奥様は30年を費やしたことになるが、プロとしての自覚と地道な精進が実を結んだのだろう。


 しかし努力だけでは到達できないレベルであることも確かだ。豊かな観察力を養うには何か特別な能力があるに違いないと思うのだが、根来も奥様もそれを否定する。そして言う。「金田さんに勝たせたいから」「お客さまにキレイなってもらいたいから」 


 そう優しいのである。利他主義なのである。王選手のホームラン第1号は根来が捕手を務めた国鉄戦だが、この時、開幕以来ノーヒットを続ける新人の王を見て根来は可哀そうになり、投手に打ちやすい球を要求したそうだ。それが世界の王の出発点となったのだから、王は根来にいくら感謝してもしきれない。


 優しいだけではない。毅然としたところもある。イチローが入団したとき、根来は2軍監督だったが、自己流の打法を直そうとしないイチローをずっと1番バッターで使い続けた信念の男でもある。良さを封じない頑なさを持っていたことになる。世間ではイチローを育てたのは仰木監督と言うことになっているが、本当の師匠は根来のようだ。


 化粧品店の奥様も優しさと厳しさを上手に使い分ける。優しくお客に近づくが、それは自己紹介のつもり。それから先は商売っ気はヌキ、お客の肌が望まなければ欲しいと言われても売らない。不摂生を叱ったりもする。そんな積み重ねが続けば読めるようになるのは肌だけでない。心まで読めるようになる。化粧品販売を生業とする人間の基本動作だと思う。顔の見えないヒト相手の販売が主流になってしまった近年の化粧品業界だが、お客を知る最大の武器は店頭での笑顔と冷静な観察力だとしみじみ思う。

(団塊農耕派)