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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -180- 規格外の人たち⑿ 気まぐれ校長

 内申書を改ざんしたり、試験結果に手を加えたりするのは良くないことだが、団塊農耕派にはその恩恵に浴したかもしれない記憶がある。


 もう半世紀以上も前のことだが、団塊農耕派は高校3年生、大学受験という大きな試練に直面していた。4月に置いた国立理系の目標は夏休みに入るころには私立文系まで一気に後退していた。このころ推薦入学はまだ珍しく、多くの大学はその実施を躊躇していたが、何と意中の大学がその年から推薦入学を実施すると発表した。


 しかしそれは皮肉にもすでに挫折していた理工系だった。それでも「何とかなる」とノーテンキに考え応募する気になったが大きな壁があった。成績が足りないのである。特に美術や音楽といった科目の点が低く、相談に行った入試担当の教師に笑われる始末だった。


 ところが学校推薦者がなかなか決まらない。成績の良い有資格者は、普通に受けても受かると思ったらしく応募しないのだ。しかしその次のランクの生徒が数人応募していたようなので、おそらくその中から決まるだろうと思われていた。


 「音楽と美術を除けば、あいつらよりオレのほうがずっと成績がいいのに」

 団塊農耕派は悔しかったが、ルールはルール。あきらめるしかなかった。すでに事実上文系に転向していることもあり、その悔しさを引きずることはなかった。

 

ところが神様がいたずらをする。

 夏休みを無為に過ごし、もうほんとうに本気にならないとまずいと思い始めた9月の初め、団塊農耕派は校長室に呼ばれた。前年の正月、初詣の帰りの京成電車で集団キセルをやり、叱られに入った時以来の校長室だった。

 「君を推薦することにした」ニコリともせず、一通の封筒を投げてよこした。推薦書と成績証明書が入っていると言う。


 「あのぅ、僕は成績が…」棚から落ちたぼたもちは元に戻さなくてはいけないと思った。しかし校長の口から出た言葉は思いもよらないものだった。「成績?大丈夫だよ」

 封印された成績書を見ることはできなかったが、同席した受験担当教師の含み笑いは、成績に下駄をはかせてもらったと想像するに十分だった。


 校長がなぜ団塊農耕派を選んでくれたかは、半世紀たったいまでもわからない。寄付もしてなければ、校長のまわりに居たこともない、おべっかなど使ったこともない、そうエコひいきしてもらう理由が全く思い浮かばなかった。喜んだ親が「何かお礼でも」と言い出したが、ぐずぐずしているうちに50年がたち、校長も亡くなった。


 団塊農耕派もあの時の校長の歳になった。化粧品会社に入ってナンパな人生を重ねてきたが、ときどき周囲が驚くようなことをしてみたくなる。


 校長も同じだったのでないかと思う。受験担当部署が推薦してくる生徒をただ推薦すれば用は足りるが、それでは面白くない。「オレは目の付け所が違うぞ」「変わった奴を選ぶぞ」と主張したかったのだろう。団塊農耕派は幸せな被害者ということになる。

(団塊農耕派)