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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -175- 佐々木朗希が野球を変える

郷土の英雄、長嶋茂雄が巨人に入団した昭和33年、10歳の団塊農耕派は野球を始めた。ユニフォームもスパイクも無い。グローブはつぎはぎだらけの時代モノ。補欠にグローブは無く、素手でボールを捕る。バットは近くの材木屋が樫の木を削ってつくってくれた。


 それでも楽しかった。「投げる」「打つ」「走る」「守る」、それだけのことだが、飽きることは無かった。まともな指導者もおらず、全てが自己流だが、高校に入る頃には、東大か甲子園かどちらかを選べと問われれば、迷うことなく甲子園を選ぶ野球小僧になっていた。


 その楽しかるべき野球が最近は面白くない。選手の健康や選手寿命に配慮する指導者がその元凶だ。スポーツ医学はあきらかに酷使が選手生活を縮めることを証明しているが、あこがれの桧舞台に出られるのなら、また努力の証しとしての凄い記録が達成できるのなら、肩など壊れてもいいし、その後使い物にならなくなってもいいと考える人だっている。高校球児だって、プロの選手だって、大半はそう思って野球に取り組んでいると思う。


 しかし〝スポ根〟が時代遅れとなった昨今、指導者(監督)は、投手が投げすぎることを悪とみなし、細く長い選手生活を推奨する。入団以来3年連続30勝以上をあげ、その後故障してしまった権藤投手の生き様を反面教師として否定する。いまプロ野球のどこの球団の監督も決まったように試合の終盤は「勝利の方程式」とやらで、エースが投げていても、一芸に秀でた別の投手に任せる。先発投手は1週間に1回、100球を投げればいい勘定だ。分業制に助けられているヘナチョコエースが、いくら長持ちしたって、人の心を打つことはない。一方、権藤の凄さは半世紀たったいまでも元野球少年の記憶の中に残っている。 


 そんな中、20歳の佐々木朗希が完全試合を達成し、その次の試合も8回まで完全試合を続けたが、最終回に降板した。球数が予定数を超え、疲れ始めた佐々木の将来を慮ったのだそうだ。徹底した投球数制限の考えが、人類未踏の記録と言ってもいい2試合連続完全試合という夢の大記録を葬ってしまったことになる。団塊農耕派にとっては信じられないアクシデントだが、この顛末を支持する人は思いのほか多い。マスコミもファンも佐々木選手の将来を考えた適切な措置だったと評価し、団塊農耕派のように熱くならない。


 佐々木投手は高校時代にも同じような過保護措置をしてもらっている。勝てば甲子園と言う大一番に監督は登板させなかった。理由は今回と全く同じ。故障を恐れたのだ。佐々木一人の将来のために残りの部員の甲子園への夢を壊した…、当時のマスコミはこの監督の独断を批判したが、団塊農耕派もその一人だった。


 しかし佐々木投手はいま確実に大投手への道を歩み始めている。わからないのはそれがここ数年の過保護育成の成果なのかどうかということだ。高校の監督の育成方針まで正しかったのではないかと見直されているが、団塊農耕派はそうではないと思う。高校の最後の試合に登板しても、2試合連続完全試合に挑んでも、故障などしなかった思う。そしてそのほうがもっと大きく成長すると思う。でも正解は本当に分らない。どうやら団塊農耕派の野球感は昭和33年のままのようだ。古兵は去るのみ、ということか。

(団塊農耕派)