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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -171- 規格外の人たち(9) バンサトリー藤田さん

  藤田さんと初めて会ったのはまだ私が化粧品会社に勤めていたころだから20年前と言うことになる。縁があり、銀座の文房具屋のホールを借りて民族衣装のファッションショーを主催することになったが、このとき会場の隅でシルクのショールなどラオスの工芸品を売るコーナーが設けられた。それを仕切っていたのが藤田さんだった。



 バンサトリーと名づけたその活動は、ラオスで買ってきた工芸品を日本で売り、その利益をラオスでボランティアをしているNGO団体に寄付するというものだったが、売り上げ額は彼女の渡航費用などの経費をまかなえるものではなかった。おそらく自腹を切り、この活動に取り組んでいたのだと思う。社会貢献に取り組む人の心意気を見る思いだった。



 ファッションショーから数年後、バンサトリーほどの高潔さは無いが、私も小さな化粧品会社を作り、何らかの金銭的貢献をしようと考え、化粧品を包むシルクのポーチと店頭で使う花梨の什器をラオスの若者が学ぶ職業訓練校から調達した。卒業生の雇用を創出する目的もあった。



 この姿勢を藤田さんはほめてくれた。そしてなんと化粧品を取り扱う代理店にもなってくれた。化粧品販売のプロではないので心配したが、あるとき見せていただいたテキストには赤いラインがたくさん引かれていた。今思えば年齢のわりに藤田さんの肌はきれいで、化粧品に関する知識はもともと持っていたのかもしれない。



 会社のホームページには取扱店一覧を載せてあるが、勝手に「バンサトリー藤田」という店名をつけてしまった。パソコンなどに縁の無い人なので、藤田さんがこれを見たかどうかは定かではない。



 藤田さんはかなりの高齢のはずだが、時々、会社を訪ねてくれた。持参のおやつを食べながらNGOのことを話すのだが、いくら彼女の口調が辛らつになっても私にはいつも心地よく伝わった。言葉の節々にラオスの子ども達への熱い思いがほとばしるからだ。



 藤田さんは私の作る農産物もほめてくれた。米、サツマイモ、イチゴ、梨、栗…。とりわけ栗にはご執心で、1年後にはマロングラッセとして帰ってきた。とても美味しく、毎年栗も大き目のものを選んで送ったものだ。



 その藤田さんが桜の季節を前に亡くなった。去年の暮れ「出来たからいつでもどうぞ」と言われていたマロングラッセをいただきに行く機会を失った。会社の冷蔵庫にはまだ去年のマロングラッセが数個残っているが、もったいなくて食べられなくなった。



 化粧品店「バンサトリー藤田」は閉店になるだろうが、時々思うことがある。藤田さんは化粧品をどうやって売っていただろうか。ひょっとしたらラオス支援を掲げた私の会社をつぶさないために仕入れ、知り合いに利益なしで販売していたのではないか、藤田さんの生き様を見れば、そんな気がしても不思議ではない。



 ところでバンサトリーという言葉の意味をいまだに私は知らない。ラオス語の辞書を引けばわかるかもしれないが、そんな野暮なことはしないつもりだ。意味なんかどうでもいい。藤田さんのニックネームとして神秘のベールに包んでおきたい。

(団塊農耕派)