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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -169- 規格外の人たち(7) ブランドQの仲間たち

これはあるブランドの売り上げ上位店の奥様たちと一緒にアメリカに出張したときの話です。猛獣のような人たちばかりでしたが、根はとても優しく、化粧品を天職としている人たちでした。



 このブランドは不思議なブランドで、一途に育成してくれるお店の多さでは群れを抜いていました。マンハッタンに招待したのは、このブランドがニューヨークに出店したのを機にあらためてブランド感を味わっていただきたかったのが表向きの理由でしたが、慰安旅行だと思わない人は居ませんでした。会社も団塊農耕派を添乗員として認めた以上、まじめに研修することはあきらめていたようです。



 猛獣使いの仕事は初日に生じました。前泊した成田のホテルの精算時のことです。冷蔵庫の中のものは自由に食べていいと言う約束でしたが、ルームサービスの代金については決めていなかったのが災いして、ルームサービス分を請求された某店の奥様が怒り出したのです。



 もちろん会社が支払うことで一件落着しましたが、この奥様、飛行機の座席も気に入らなかったらしく、席に着くや否や隣に座る人を指定し、それを認めた瞬間、あらかじめ決めてあった席次はガラポン状態になり、民族大移動が始まってしまいました。



 マンハッタンでもこの集団はすこぶる元気でした。明治のはじめ岡倉天心が5番街を羽織袴で闊歩したそうですが、脚の速いニューヨーカーに混じって、超鈍足5頭身集団の賑やかな姿がありました。著名なデパートの化粧品売り場も、ソーホーのこのブランドのショップもたいして興味を示さず、ひたすら買い物アニマルに徹していました。ティファニーの閉店間際に駆けつけ、シャッターを下ろさせないつわものもおりました。



 2001年3月11日、集団は国際貿易センターの高層レストランで食事をします。「京王プラザとは違うね」「通天閣が見えるよ」とかふざけ半分で始まった会食でしたが、団塊農耕派は奇妙なことに気づきます。お酒がはいるほどにしゃきっとし、仕事の話を始めるのでした。そのほとんどがお客のことでした。ブランドとお客の波長の合わせ方、1円でも単価を上げるための嫌みにならないノウハウ、普段聞けないような話を沢山聞きました。



 集合写真をこのレストランで撮り、記念の1枚となったのですが、このとき誰もちょうど半年後にこの場所がテロで木っ端微塵にふきとばされることなど予想しませんでした。ちなみに、ちょうど10年後のこの日には東日本大震災が起きており、偶然とはいえこの集団のもつ摩訶不思議なエネルギーには恐れ入ります。



 旅の終わりは飛行機の中でした。団塊農耕派は機内販売で人数分のペンダントを買い、参加者に配りました。安物ですが感謝のつもりでした。最近になって20年たった今でも持っていてくれる人がいることを知り嬉しいかぎりです。



ブランドは風前の灯ですが、会社や後輩がその良さを理解するのはもはや無理なようです。でもこのブランドと旅のおかげで専門店の皆さんとそれからの長い旅を始めることができました。絆としてのブランドとはそういうものかもしれないと、まともな研修もしなかったくせに思っています。

(団塊農耕派)