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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -168- 規格外の人たち(6) 饅頭屋の爺さん

その饅頭屋は茂原街道沿いにある。

センスの悪い幟(のぼり)を見て、店に入らずにそのまま行ってしまうクルマも多いが、最近はネットの書き込みもあって相当に繁盛している。



味覚にはそれほど自信のない団塊農耕派だが、ここの饅頭は掛け値なしに旨い。ノーブランドだが都会の上品な饅頭よりはるかに旨い。地元産の小豆や落花生を使っているからだと店の爺さんの口数は少ないが、団塊農耕派はそうは思っていない。



店の裏にある工場を見ればわかる。小豆を煮る釜は小さいのが一つしかない。前日に仕込んだ小豆が井戸水とともに入っている。化粧品工場にあるような攪拌機はなく、どうやら人力で混ぜるらしい。



 開店し2時間程度で売切れてしまうのは、そもそも売り物がなくなるからだ。ずっと前、爺さんに釜を増やすか大きくすることを勧めたことがあるが、聞く耳を持たなかった。規模を大きくすれば絶対に儲かるという方程式を信じないのか、そもそも儲けなど要らないと思っているのか、爺さんは何も答えてくれなかった。



 余談だが、団塊農耕派が高校生だった頃、京成八幡の駅前に10人も入れば満席になる汚いカレー屋があって連日盛況だったが、店を大きくおしゃれに改装した途端に閑古鳥が鳴いてしまった。このとき誰もがいわゆるマーケティングの失敗として片付けたが、常連客だった団塊農耕派はそうは思わなかった。味が変わっていたのである。一言で言えば2日目のカレーの味ではなく、作りたてのカレーの味になっていたのである。



 饅頭屋の爺さんのような味に対するこだわりがあれば倒産はしなかったと思う。その爺さんと久しぶりに会った。コロナのせいで店がどうなっているかを知りたくて、また大好きな落花生饅頭が恋しくなって、散歩のついでに寄ってみた。



 心配無用だった。店は開いていた。先客が二人いた。一人目は中年の男性で房総半島へドライブに行く途中のようで、駐車場の車の中には家族の姿があった。二人目は地元のおばあさんで、約1キロの道のりを歩いて来たようだ。団塊農耕派とは顔見知りだった。



 おばあさんが心配そうに団塊農耕派にささやいた。「あと少ししか残っていないから買えないかもしれないね」 たしかにその通りで棚にはもうわずかしか残っていなかった。

 中年男性は情け容赦なかった。すべてを買うと言う。レジをしている従業員の顔が曇る。「せめて5箱にしてもらえないか。そうすればあとの二人に回る」



 しかし男性は空気を読まない。7箱分のお金を差し出して知らん振りだ。後ろにいるおばあさんと団塊農耕派のことなどどうでもいいようだった。呆れ半分、怒り半分の団塊農耕派は男性に1箱をおばあさんにまわすようにお願いしたが、男性は無視を貫いた。



 従業員がおばあさんに目でお詫びをしているとき、店の奥から爺さんが現れた。「ハルさん(おばあさんの御主人)は元気かい。施設に持って行くんだろう。2箱は要るよな」そう言いながら男性用の包みの中から2箱を取りだしたのだ。そして男性に「売るまでは俺のものだからな」と問答無用に言い切った。



怒った男性が1箱も買わずに店を出たお陰で、団塊農耕派にも1箱回ってきた。この日の饅頭は特別に美味かった。

(団塊農耕派)