「短大を出て、大手の証券会社に入社が決まっていたの。それから2年くらい勤めて、寿退社して、30までに二児の母になる…、そうレールが敷かれた人生が待っていたの」
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ひろこと名乗った女性は、上品な口調、こぎれいな身なり、ニュージーランドの場末の居酒屋で働くホステスさんとは思えなかった。日本からの出張客が集まる店だったが、週末は帰国する人が多くて混むらしいが、週半ばのその夜、店には団塊農耕派しかいなかった。
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陽気に『麦畑』をデュエットしたかと思うと今度は急にしんみりとし、彼女の身の上話は核心に入る。
「でも急にいやになったの。私にもぜんぜん違う世界があるかもしれないのに、それを探すこともなく、人生をスタートしてしまうなんて」
「オーストラリアに卒業旅行に行くと言って家を出て、それっきり戻っていないの。もう12年も経っちゃった。でも家出じゃないの、いる場所は教えてあるから」
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それでも父も母も訪ねてこないという。「勘当されたのね」と言って笑う。化粧品屋には目元のしわが苦労じわに見えた。
「ところでニュージーランドに居場所はあったの。探し求めたものがあったの」
単刀直入に聞いてみた。酔客の真顔の質問に、戸惑いながらひろこちゃんは答える。
「全然なかった。10年以上ずっと後悔ばかり。少しお金がたまるときれいな言い訳を考えて空港までチケット買いに行くんだけど、いつもそのまま帰ってきた。そのうち飛行機代も稼げなくなり、ここ数年は帰国は夢のまた夢…」
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まずいことを聞いてしまった。団塊農耕派の病気がまた出てしまうではないか。グランドキャニオンで関西の若い貧乏学生に、六本木できれいなおねえさんに、北千住でフィリピンのホステスさんに同情してお金を貸して戻ってこなかった前科がある。
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妄想が襲ってきた。今回の出張は、飛行機はビジネスクラスだから、払い戻せば二人分のチケット代になる。管理職になったのでビジネスクラスの恩恵に浴したが、数ヶ月前まではエコノミーが当たり前、そう思えばエコノミーもちっともつらくない。まして隣にひろこちゃんがいればトータル収支はプラスかも…。
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会社の経理が激怒しそうな、人事がペナルティを考えそうなアイデアだが、団塊農耕派はひろこちゃんにお願いされれば応諾するつもりだった。そして何気なく匂わせるのだが、ひろこちゃんは乗ってこなかった。「帰りたいな」「帰りたいな」と言うくせに、中年のおやじの魂胆は見抜いていたようだ。
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それから30年、ひろ子ちゃんは今、日本に戻り、英語学校の講師をしている。どんな言い訳をして「空白の20年」を正当化したのかは知らないが、ご両親とも仲直りしたそうだ。数年前当時ニュージーランド駐在をしていた人を介して会ったとき、彼女は思い出したかのようにこう言った。「高いチケットを見せびらかすようにしていた日本人がいたけど、あなただったんですね」 真意、いや誠意は伝わっていなかったようだ。
(団塊農耕派)
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