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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -165- 規格外の人たち(3) 吉祥寺の下宿おばさん

吉祥寺駅から歩いて30分のところに団塊農耕派の下宿はあった。

賄い付きだったが家賃は安く、部屋に鍵がないことを除けば、貧乏学生の身には申し分の無いところだった。とりわけ上総の田舎から上京した団塊農耕派にとっては下宿のおばさんの作ってくれる食事はカルチャーショックそのもので、毎日の夕食が楽しみでならなかった。



 下宿人は3人。みな学生で、違った大学に通っていた。東大君は司法試験の勉強中で、終日下宿におり、いつも真っ先に食堂に現れ、3等分以上のものを食べてしまうので、学生運動に明け暮れ、夜遅く帰って来る独協君の分け前は少なくなりがちだった。

 そんなとき下宿のおばさんは彼のために別のものを用意してくれるのだが、独協君は深夜その残りをもって団塊農耕派の部屋を訪れ、自らの社会改革論を熱っぽく語ったものである。



 デモに参加した独協君が警察に捕まり、大学を辞めざるを得なくなったのは夏休みの終わりのころだった。釈放された独協君は故郷の三重に戻って新たに出直すと言ったが、それを止めたのはおばさんだった。怒り口調だった。

 「東京に居なさい。進学するなり、就職するなり、じっくり考えなさい。部屋はそのまま使っていいから」



 独協君はおばさんの厚意に甘えた。そしてそれから1年以上、彼は1円も払うこと無く下宿に居続けた。もちろんあの美味しい食事つきで。そして彼はイギリスの大学に合格し、吉祥寺の下宿を出て行くが、後年、彼は頑張れた理由としておばさんの作ってくれた食事を挙げた。



 居心地の良さとは「食」の充実に比例するものなのだとつくづく思う。

 それから半世紀。賄い付きの学生下宿はすっかり姿を消し、多くの学生は大家の顔すら知らずに、「東京砂漠」で暮らすのが当たり前になっている。誰が作ったかもわからないコンビニ弁当が彼らの主食のようだが、味気ないと感じるのは団塊農耕派だけだろうか。



 ところがその粗食にすらありつけない学生が増えているという。コロナ禍の今、アルバイトが出来ず、生活費を捻出できなくなったのだそうだ。そんな彼らにいろいろな支援団体が手を差し伸べているが、学生には都会で生きていくためのしたたかさが、そして大家や周囲の人たちには彼らを窮地から救ってあげようとするお節介心が足りない。



 賄い付き下宿が当たり前だった時代と大きく変わったのは、「個」を大切にする生活スタイルが善となってしまったことだと思う。寮が相部屋などもってのほか。高校野球の合宿だって個室が当たり前。学生アパートの絶対条件は非干渉。個食(孤食)など全く気にならない。そんな学生には困っても周囲にSOSを出す度胸とスキルが無い。



 おばさんが存命なら今の学生に何と言うだろう。独協君にはきついことを言ったが、おそらく何も言わずに美味しいものを作り始めるだろう。そして一言団塊農耕派に「自分のようなお節介な人間が居なくなったね」と言って笑うだろう。団塊農耕派は思う。

 賄い付き下宿という『人材育成装置』をなぜ無くしてしまったのだろうと。コロナの災いを経て、社会はその殺伐さから抜け、人恋しい方向に向わなければならないのに。


(団塊農耕派)