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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -164- 規格外の人たち(2) 瀬戸内寂聴さん

栃木県から来たというその女性は瀬戸内寂聴さんの法話を聞き、身の上相談をするつもりだったようです。

ところがその前に団塊農耕派が前座として「高齢化社会と女性の生き方」というテーマで講演してしまい、彼女に余計な情報をインプットしてしまいました。



 大手広告代理店の主催する高齢化社会をテーマにした講演会が開かれたのは今から20年くらい前、21世紀に入ろうとしていた頃のことです。


寂聴さんのお話がメインでしたが、櫻井よしこさんと吉村真理さんが加わり、高齢化に突入する次世紀の日本を多方面から議論する企画でした。

団塊農耕派が呼ばれたのは、たまたまこのころシニア向けのブランドを担当しており、宣伝も兼ねて会社の広報が広告会社に売り込んだのではないかと思います。



 吉村さんはこれからのシニアは知的ミーハーになると言い、ファッションについて持論を披露し、櫻井さんは政治的な視点から老人介護の現実を糾弾し、おしんの時代、すなわち親孝行が美徳だった時代に戻るべきだと説き、団塊農耕派はこれからのシニアは主役願望が強く、積極的に外に出る時代が来ると述べました。


 寂聴さんは黙って聴いていましたが、飽きたらしく、前においてあったリバイタルクリームの匂いをしきりに嗅いでいました。



 寂聴さんのお話は20分くらいで終わり、あとは身の上相談でした。多くの人が手を挙げ、個人情報などどこ吹く風で悩みを打ち明けます。その内容があからさま過ぎて唯一の男性だった団塊農耕派が居づらくなる質問も多々ありました。

 


栃木の女性はこう切り出しました。


「いま歩けなくなった母と二人暮らしですが、仕事と介護の両立に疲れました。母を介護施設に入れるかどうかでずっと悩んでいます。でもさきほど資生堂の人のお話を聴いて、私も母の犠牲にならずにもっと前向きの人生にトライしてもいいのではと思いました。母には可哀想ですが、決断しようと思います。私の判断は間違っているでしょうか」


一人の女性の人生を自分の一言で、いや極論すれば化粧品会社の商魂で変えようとしている…、団塊農耕派は一抹の恐怖心を持って寂聴さんの言葉を固唾を呑んで待ちました。

 


「本当にそれでいいのですか。自分を偽ってはいけません。自分の気持ちに素直になりなさい。お母様の居ない、でも肉体的に楽な生き方、貴女はそれを本当に望んでいますか」

 

優しい言い方ですが、彼女の決心を戒める内容でした。シーンとした会場、黙りこくり次の言葉が出ない質問者、優しく微笑みかける寂聴さん、次の質問者を指名する司会者、彼女の時間はあっという間に終わりました。団塊農耕派は席に戻る彼女の後姿を見ながら、自分のアドバイスが反故にされたのに、なぜかほっとしていました。



 講演会が終わり、団塊農耕派が会場を出ようとした時、そこに彼女が居ました。待っていてくれたようでした。失礼なことをしてしまったと詫びましたが、団塊農耕派はまったくそれに値しないと笑顔で返しました。安心したような顔をして帰っていきました。それから20年、彼女がどういう人生を歩まれたかは知りません。


 寂聴さんが亡くなりましたが、寂聴さんの足跡を語る小さな出来事として書きとめておきたいと思います。

(団塊農耕派)